2008年02月12日
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嘘っぱちストリートサッカー |
アメリカのEA社「FIFA STREET 3」というサッカーゲームの
プロモーションビデオらしい。
ボールはどうみてもCGだが中には本当のボールもある。
人間の動きは本物だろう。
人間に動かせて、それに合わせてボールを合成している。
さて、映像作品というのは結果であり、それそのものには
珍力は無いと考えていいのだが、作者の珍というものがある。
作者の珍力を反映し、映像からにじみ出てくるのが
いい映像だと考える。
しかし、上に掲載した映像がどうかと言えば
それは主観の問題で、ヒトそれぞれであろう。
ここがポイントである。
作者からの距離が遠ければ遠いほど
珍力が見えにくくなるという点だ。
他の例で言うなら
ある農家が作った芋を畑の横の即売で買った場合と
どこかの農家が作った芋をスーパーで買った場合。
鮮度ということは抜きにして、感じる何かが違う。
それを珍力だと仮定する。
スーパーで買った物にも
農家の珍力は芋に宿っている筈だが感じにい。
物理的な距離もそうであるが、
ヒトからヒトへとより多くのヒトを介在した場合に
本来の珍力を失うのではないか。
最近はスーパーでも農家の顔写真を出したりして
「農家の珍力付きだよ!」をアピールしている。
それは安全性の責任の所在を求めているという
ネガティブな要因ではなく、単に作者の珍力を
楽しみたいという欲求ではないのだろうか。
ではこれと同じ論理で
映像・音楽・書籍を観察してみるとどうだろう。
不思議な事に音楽や書籍はベストセラー・ミリオンヒット
となった後の作品でも珍力は割と減退しない場合が多い。
ところが映像は違う。
やはり、音楽・書籍に関われる人数が限られる反面
映像は関われる人が多いからではないだろうか。
だが、好評を得て、大規模に映像を展開するとなれば
どうしたって人手を増やす必要があり
ここが映像業界のジレンマとなるだろう。

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